SOCORE FACTORY そこはお茶の間-Live streaming
2015/11/01(Sun)

ROOTS MAN STAND男のルーツロックUNITY SPECIAL

Act:
【LIVE】
KAJA & JAMMIN'
OSAKA LOCAL
DUBJUANA MIDNIGHT SYSTEM (from:東京)

【DJ】
Equalizer (GREEN GREEN)
TOKU

Open:18:00 / Start:18:00 / Adv:¥2,500 (D無) / Door:¥3,000 (D無)


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    1101_ura
    kaja & Jammin’
    kaja13febBN
    大阪で生まれる。
    Kajaが実質のデビューとなったのは1980年。
    この年に発表された日清食品のTVコマーシャルソング「ギラリ熱愛」は、 商品のカップラーメンよりも「好きさ 好きさ ベイビー♪」のフレーズのほうが、人々の日常に浸透した感があった。
    ラジオのリクエストは殺到し、街中にその軽快かつラテン的なリズムは響き渡った。 テレビでもその姿を頻繁に見受けられるようになり、翌年、ファーストアルバム「AGE」とセカンドシングル「炎の夜」を立て続けに発表した。
    当時のテレビ制作会社で現場スタッフだった男性はこう語る。
    「僕らの世代でKaja、といえば誰もが知っていたし、彼らの出現で大阪イコール熱い、ラテン的といったイメージが強化されていったんです」と、 その男性は今でもKajaのサイン入りのレコードを大事に保管し続けている。
    その後、プロダクション側の意向と方向性が食い違いだすなどの理由で、バンドHIGH-WAYは解散し、 1984年、新たにKaja&Jammin’を結成。バブル時代創造期に媚びることなくKajaの独自性はメジャーダムで開花していった。
    TVドラマ「ハングマン4」の主題歌、また翌年にはTV番組「本気ナイトパフォーマンス」のテーマソングなど次々にリリース。 中でも日本初上陸のビッグイベント「レゲエサンスプラッシュ」に出演したことは日本のレゲエ界に大きな影響をもたらしたと言い伝えられる。
    当初の日本人にとってはレゲエはまだ夢の舶来音楽だったのに対し、いち早くバンドとして完成を見せたことがひとつ。 そして単にジャマイカを真似るのではなく、60年代ブリティッシュロックに見られるブルージーな音質やリズム感、 それに日本人的なドラマラスなメロディラインと、歌詞を日本語に徹したことで多くの海外ミュージシャンたちを震撼させたのである。
    Kajaの演奏が始まると同時に舞台袖に駆けつけ「こんなレゲエは聞いたことがない。これこそJapanese Reggaeだ」 と乱舞したのがレゲエ界のプリンスこと、マキシープリーストであることは一部の関係者だけが知る事実。
    以降、このイベントは多様化し、毎年恒例になるほど日本をレゲエ色に染めたことは言うまでもない。 だが問題はKajaがレゲエフリークではなかったことだ。
    彼の中でレゲエは、人間の心奥底に潜む「Soul」の表現方法のひとつでしかない。 80年代中頃から自身の周波数をより直接的に伝えるために、ソロ活動を軸に本格的に全国へと発信していくことになる。

    WRITER : Kenji Kawamura

    DUBJUANA MIDNIGHT SYSTEM
    DUBJUANA
    2005年
    Shiono(当時Gu. / Vo.)を中心にTakuji(Ba.) Ryo(Dr.)の3人で東京杉並某所にて、Shionoのワガママにより召集、結成される。
    2006年
    DISC UNIONの隠しレーベルTMDより、1stアルバム「Lunch Time Service」を発表、周りの反対を押し切りレコ発ツアーを慣行、最終名古屋会場でライブ中ボヤ騒ぎが勃発するも、居酒屋に非難し事無きを得る。大量の不良在庫を抱えつつ、その後マイペースに活動していく。
    2007年
    Dub mixに[E.D.O.Sound System]のJinyaと、Sound Engineerに当時新宿MARZのTakeshi Koizumiをなかば強引に勧誘、加入に成功、3piece & 2mixerでの2ndアルバムを構想す。その時期、不定期イベント[Soul Gravitation] [Green Level]を主催、KEMURI Hornsection、NARI(scafullking)、Fussy(Wack Wack Rhythm Band)、The BigHip、Littlemastaなど多くのミュージシャンとセッションライブを行う、また多くのイベントに参加し国内外のビッグアーティストと共演をはたす。
    2009年
    Jinya脱退。
    2010年
    所属レーベルも決まらぬまま2nd アルバムのレコーディング開始合言葉は「売れなかったら解散」。
    2011年
    自主レーベル[GHOST ROOTS]設立。
    2012年
    構想から5年制作2年ついに2ndアルバム「DROPPA」発表、あまりの音数の多さから、ライブでの再現が不可能になる。同年 ex.RUDEBONES、V&40のKoide Masahiro(Gu.)が加入、Shionoを(Tp./Kye.)にコンバートする。
    2013年
    2ndレコーディング開始時の合言葉をうやむやに闇に葬る。同年 MatERiAL bOYS消滅後、世田谷近辺で漂っていたドラマーのKiichiを保護し、パーカションニストに魔改造を施す。Republic of Animalsと不定期イベント[SOUND CRASH CRUZ]を主催。
    2014年
    TakujiがSpicy Boo、KiichiがPantyblackmenにそれぞれ改名。
    2015年
    ついに泣かず飛ばずで10周年を迎える!!そしてついて3rdアルバム「Sluggard」リリース!